フィンランドとカレリア共和国
(ヘルシンキ市にあるSeurasaariという島の入り口より撮影)
ジム通いをしていたフィリピンから帰ってきて、東京でジムに通うお金がないので、家で筋トレした後近くの公園で走っているのですが、道具を使わない筋トレの効果的な方法を知りたいなと思う今日のごろでした。
腹筋を鍛えるのは簡単ですが(と言ってもまだ割れていませんが)、大胸筋はせっかく筋肉がつき始めてきたので衰えたくないからです。何となく腕立て伏せは大胸筋に負荷がかかりそうなので、やっていますが・・。
そんな今日は前置きの筋トレと全く関係のないですが(笑)、カレリア共和国とフィンランドについて語っていきたいと思います。
皆さんはカレリア共和国という存在をご存知でしょうか。国連に独立国家として語られている国とは違い、シベリアのサハ共和国と同じ行政区分にあたるロシア連邦の一部です。フィンランドの東に隣接しています。
僕は2年前にカレリア共和国の女性からメッセージをもらったことがあり、その国のことを知りました。僕はロシアのSNSにアカウントを持っていて、旅の写真や日本の写真を公開しているので、旧ソ連諸国の人から日本に関することで連絡が来ることが多いからです。
その2年前に初めて僕がヘルシンキへ行く機会を得ると、その女性はとても喜んでいました。そこで、カレリア共和国とフィンランドの関係性を知ることになりました。
バルト海を巡って争っていた北欧の帝国と言えば、スウェーデン帝国とロシア帝国です。そういったロシアと争った歴史があるスウェーデンでは、今でもロシアとの政治的な問題が起こると「ロシアの熊が来た」と冗談で言うことがあるそうです。(特に今はロシアとヨーロッパ諸国の関係は一部の政党を除いて微妙になっているからでしょうか)
有名なのは18世紀に起こった北方戦争です。この戦争の講和条約で、このカレリア地方はロシアの支配下になります。当時、フィンランドはスウェーデン領でしたが、フィンランドの民族的、文化的な物はこのカレリア地域にも存在していると聞きました。
昨年も僕はフィンランドに行く機会があり、その時にフィンランドの友人が「Seurasaari島に行こう」と誘ってくれたので行くことになりました。このSeurasaari島にはフィンランドの歴史的な木造建築物が復元されており、カレリアの建物も多数ありました。
フィンランドはロシア革命が起こった頃(1917年頃?)に独立を宣言して、その当時はカレリア地方の一部もフィンランド領だったそうです。(当時、フィンランドはロシアだけでなく西にあるスウェーデンともオークランド諸島で領土問題を抱えていました。それに関しては日本人の新渡戸稲造が仲介して平和的解決をしていたりします。)
また、僕のフィンランド人の友人の先祖も戦っていたそうですが、フィンランドは1939年にソ連軍により侵攻を受け、冬戦争や継承戦争という戦いを第二次大戦中に経験している国です。第二次大戦により1940年の東京オリンピックが中止になり、代わりにヘルシンキで予定されていましたが、このソ連の侵攻によりヘルシンキオリンピックまでも中止になりました。
彼らはナチスドイツなどの協力も仰ぎつつ枢軸国としてソ連軍に抵抗して独立を守るも、その講和条約でカレリアの一部地域をソ連に割譲されることになります。
このように、戦後に国境は変わりましたがカレリアはまだフィンランド人にとってとても身近な地域と言えると思います。その逆もしかりです。日本人で言うと北方領土に対する感覚に近いかもしれません。ちなみに、そのカレリア共和国はキジ島という世界遺産を持っている所で日本人にも人気が出ています。
国境沿い地域の歴史を勉強すると、簡単に国民国家の線引きでは語ることができない別のコミュニティがあるものだなと勉強になるのでした。ただ、ロシアとフィンランド(シェンゲン国)の人々は、お互いの国を訪れる時にビザの手続きが比べて面倒なので、交流が少なくなってしまっているかもしれません。
そのため、北方領土のようにビザなし交流に似た物があるのか気になるのでした。ちなみに僕はロシアからフィンランドに入国した経験はあります。
RYOJI