世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

国民国家とインターネット


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(写真はギリシャのメテオラより)

 

先日、記載したモンゴル帝国が世界と世界を結び始めたという自論をここでで書きましたが、そのつづきとして現代まで書いてしまおうと思い、今回は記載します。

 

1.アジアから大西洋へ

13世紀当時、イスラーム世界と中国が世界の中心として繁栄を続けてきましたが、モンゴル帝国の支配によってイスラーム世界と中国との交易が容易になり、ヴェネツィアの旅人マルコポーロなどの伝聞により、アジアに関心を持つ人々がヨーロッパでも増え始めます。

 

モンゴルは後継者争いや、ペストの流行等、様々な理由により滅びますが、そんな頃にキリスト教を求心力としてきたヨーロッパの国々は豊かさを求め始めました。スペインはレコンキスタイベリア半島におけるイスラーム勢力から領土を奪還する運動)を1492年にグラナダを陥落させることで完了します。そして同時期にインドを目指したコロンブスがアメリカ大陸を発見する時代に。

 

特にスペインは地球の探検を繰り返し、新たな市場を見つけ続けました。元々インカ帝国などがあったラテンアメリカ地域は、スペインからの武力攻撃及び疫病などを受けて滅んでいき、アメリカ大陸は彼らコンキスタドールの占領下となります。

 

ここで、銀の大量発掘、農作物の発掘などが起き、世界経済はアジア貿易から大西洋貿易に移行していき、中国では日本銀よりもメキシコ銀が多く流通していきます。こうして、スペインなどはアジアから今までは簡単に手に入らなかった茶・綿・絹・陶磁器などが手に入るようになり、最終的には占領地から資源を安く輸入し、それによって作った商品を占領地に高く売りつけるという植民地経営を取っていくことにもなります。

 

中でも莫大な富を得ていたスペインはオーストリアと同じく当時はハプスブルク家という貴族が支配をしていましたが、彼らを脅威と感じていたイングランド、フランス、ドイツにいた諸侯による反発などがあり、三十年戦争が起こります。

 

2.国民国家の誕生

三十年戦争講和条約であるウェストファリア条約により、国民国家と呼ばれる、私達が考える現在の「国家」の原型が生まれることになりました。それは明確な国境線ができ、ヨーロッパを中心として中央集権的な国が多く誕生する時代へと進んでいくことも意味していました。

 

これまでは有力諸侯がそれぞれの土地にいて幅を利かせていたが、その上に立つ王が支配力を強めるため、スペインやフランスやプロイセン(ドイツ)などは民族意識を利用して(時には作り)、強靭な国家を形成する時代になっていきます。

 

王や皇帝が求心力を持つ国が多い中、フランス革命のように市民によって作られた国家も18世紀には誕生していきます。こうした近代の流れは、それまでの封建的な国家とは違い、国の結束力が強く、敵国意識も芽生え、自国の富を稼ぐ仕組みが大胆になっていきます。

 

そうした国家に立ち向かうために、他の地域もアイデンティティを確立していきます。例えばイタリア地方では新たなイタリアという共同体の結成を目指し、リソルジメントイタリア統一運動)も起きます。

 

元々、今のイタリアが成立する前まではサルデーニャヴェネツィアローマ教皇領など様々な共同体が存在しており、イタリアという考え方がない一般市民達は、指導者の指導力により「イタリア」の結束力を固めていきます。

 

そんなイタリアの統一気運が高まる19世紀後半頃、一方で日本も同じ流れを経験していました。鎖国によって欧州からの植民地経営を逃れてきた日本ですが、多くの外国船に悩まされることになり、最終的にはヨーロッパと同じ土俵に立ち、国家を固める動きが出てきて明治維新が起きたのです。

 

薩摩も長州もアイヌ民族琉球民族もそれぞれ共同体を持っていたと思いますが、天皇陛下を求心力として「日本人」というアイデンティティを確立に急ぎました。(日本人という感覚が生まれたのは、明治頃からとも言われています。)

 

日本は北方のロシアなどの列強の脅威により国力を高め、中国は日本や欧州の脅威から国民国家をつくる気運が高まったように、外敵をもとに自国が確立し、利益を他国から守るという構図が「国民国家」の歩んできた歴史とも言えます。

 

近代化に成功し、明確な近代国家となったアメリカ・日本・ヨーロッパ諸国は、ついに第二次世界大戦という世界最大規模の国民国家同士の戦争に走ります。

 

世界大戦が終了した後は、ヨーロッパや日本やアメリカに支配されていた アジア・アフリカ諸国が同じように国民国家という形で独立をしていきます。特にアフリカはヨーロッパ諸国が便宜上作った植民地時代の国境線をそのまま利用して独立をすることが多かったため、国家観があまりなかった国では民族が分断されてしまっていたり、同じ国に別々の民族同士が住んでいるために争って虐殺が起きてしまうなど、国に縛られるが故に、何のための独立だったかがわかならい事態も起こりました。

 

ユーゴスラビアや中東諸国などは、国民国家というシステムの中で民族によって国民をまとめるというよりも、宗教観による結束の方が強い所もあり、対立する民族や宗教をどのようにまとめるかに苦しんできた歴史もあります。

 

3.国民国家から新しい共同体へ?

一方、国民国家が生まれた本場ヨーロッパでは逆に戦後にECやEUという共同体を作ることで、経済面における国境という考えを捨てました。その中で国民国家という仕組みに無理があるのでは?と考えていた人々をさらに促進したのは世界中を結ぶインターネットという技術でした。

 

今では、市民レベルだとSNSなどによって友達を作るにあたって、国というボーダーを意識しない関係も強くなっていき、法人だとグローバル企業も増えてきて、仕事の受発注は国に縛られず、税金を払う場所もお金を預ける所も国家には依存しない時代になってきています。
 
特に日本のような先進国は戦後間もない発展途上国時代とは違い、国家が行う事業など公的組織の役割も少なくなり、国の組織に属する形でなく、着実に民間企業や個人の力が示されていく時代になってきているようにも思います。飛躍的ですが、近い将来は人々は自分がどこに属しているかという「拠り所」をどのように見つけてアイデンティティを確立していくのかも問われていきそうに思います。

 

(史実に対し、表現が適切でない箇所がありましたらご教示いただけると幸いです。) 

 

RYOJI

想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険)

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