複雑化するウクライナ情勢、発端を振り返る
(イースターの時にウクライナのザポリージャの友人に毎回写真をもらいます。ありがとう!)
僕はウクライナの友人がいることから、今回の情勢により人が亡くなっている状態が続いていたため、単純にウクライナ情勢に関して憂う発言をFacebookですることがありました。ロシアの政策を支持するロシアの友人と、いわゆる「西側」の意見を持つ友人とが僕のFacebook上で言い争いが起こることもありました。
このように西ウクライナ(新政府側)と東ウクライナ(親露政権)という単純な対立構造で語られがちなウクライナ情勢ですが、僕は中立的な立場を取っていました。
先日マレーシア航空機撃墜事件が起きて、新ウクライナ政権も親露派もお互いに濡れ衣を着せあってきました。そして、この一連の情勢に関して、ロシアとしては親露派に直接指示をしていた訳ではないとしているが、アメリカ・EU・日本などはロシアに責任があるとして金融制裁を加えることを決定しました。
現在は中東情勢が不安定なので、いずれにせよヨーロッパ各国は資源大国のロシアに依存しなければいけない状態になる可能性は高く、実際に民間レベルでもロシアはEU各国の企業から莫大な投資を受けています。ロシアは外交カードとして金融制裁は逆に利用できる程力がある国のようにも思います。
つまり、アメリカとロシアがどちらも折れずに対立を続けるということは、シリアの安静化やイランの核交渉の進展を止めてしまうことにもなります。イランでは穏健派の新政権が発足して解決の兆しが見え始めていた所でしたので、とても惜しい状況です。実際に現在のシリア情勢も、ウクライナ情勢やガザ情勢により報道は少なくなってしまいましたが、かなり悪化しています。今年5月にはシリア政府により1日に700名以上も弾圧され亡くなったとされています。
こうして連鎖が続き複雑化していまうのは国際政治のお決まりなので、そもそもウクライナ情勢がなぜ悪化してきたか最初の頃を思い出すことが重要だと思い今回は記載します。
ウクライナと言えば、諸外国からの干渉もありEU派と親露派で意見が分かれやすく、それが政治的なテーマになりがちであることは、以前からも多くの人に知られています。2004年にオレンジ革命と呼ばれる欧米派が親ロシア派を倒す事件があったからです。(2004年の大統領選挙で親露派ヤヌコビッチ政権が誕生しましたが、野党が選挙に不正があるとし、またアメリカやEUも民主的ではないと圧力を加わえ敗退。)
しかし、オレンジ革命でユシチェンコ氏が大統領になるものの、盟友であったティモシェンコとの対立などで支持率は下がり、結局2010年には親露派のヤヌコビッチ氏が大統領選で返り咲くという結果に。今思うと危険な質問でしたが、僕も2年程前はウクライナの知人に対し、EUとロシア、実際はどちらを支持している人が多いの?など平気で尋ねたりしておりました。
2013年のいつ頃だったか、いつものようにウクライナの友人とチャットをしていて、
近況を聞いた際に「今はウクライナはEUに参加するかもしれないから、そのニュースが毎日報道されているよ」とのことでした。その時は、またこのテーマにウクライナは振り回され始めるのかと正直感じました。
当時の大統領であるヤヌコビッチ氏(今は失脚しキエフから脱出)は、EUへ市場を開放することでEUからの経済支援を期待していましたが、EUはヤヌコビッチ政権に対する信用がなく経済支援を拒否しました。そんな時にロシアはウクライナへの援助を約束し始め、ヤヌコビッチ政権は急な政策転換をし、ロシアへの援助を求めることになりました。
そのような急な政策転換に対し、国内でキエフを中心にデモが起きます。アメリカやEUのヤヌコビッチ政権への反発や、国内で起こるデモの抑圧をロシアが支援するなどして諸外国の干渉もあり対立が悪化し、新しく発足したウクライナ新政権と東部のドネツクなどに存在する新露派政権との対立が続き現在に至ります。
2.ウクライナが東と西で考えられがちな歴史的背景
欧米各国やロシアの干渉、また国内の右派・左派政党によって、ウクライナ政治は何かと東西分断されやすい性格を歴史的にも持っている所があると思います。
古来、ウクライナや西ロシアの地域はロシア正教(ギリシャ正教)を信仰していた
ルーシ族と言われる民族が住み始めます。彼らが治めていたキエフ公国は、13世紀にモンゴル軍の進出により「タタールのくびき」と言う250年程、モンゴルにより間接的に支配される時代が始まります。(モンゴル軍に大敗した東スラブ人とされる彼らは、別々の道を歩むことになり、ロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人と言った別々の民族感が芽生え始めたともされています。)
ウクライナ南の黒海沿岸に「コサック」という侍達がモンゴルからの支配を脱しますが、モンゴル帝国の衰退後は西にあるポーランド王国の保護下に入ります。当時、北部ではモスクワ大公国(後のロシア帝国)がモンゴルの支配を脱して強大化し始め、西部はポーランド(カトリック圏)、東部はロシア(ロシア正教)が治めるという構図になっていました。このように西側のウクライナはカトリックへの関係もあったことから、自然とヨーロッパへの帰属意識が高い人が多いのかもしれません。
その後、強大化するロシアや列強による「ポーランド分割」などがあり、今のウクライナはロシア帝国領になります。1920年代にロシア革命が起こりロシア帝国が崩壊することで、ウクライナは独立に動くきますが、ソ連による支配下におかれます。
新しく誕生したソビエト政府の樹立は、ロシア帝国時代に迫害され続けていたユダヤ人の尽力もあったとされています。そんなソビエト政府は独立意識の強いウクライナのコサック等を迫害するようになり、1930年代初頭にはウクライナの人口が大量に減少した悲しい政策まで起こります。それはソビエト政府による「ホロドモール」と呼ばれる人工的な飢饉(極端な飢餓輸出)で、1年半で500万人が飢え死にされたとされています。
前述の通りソビエトの新政府は幹部にユダヤ系の人々が多く、ユダヤ系の人々への差別が歴史的にも根強かったことが重なり、飢饉で被害にあった人々は西部ウクライナを中心に反ユダヤ主義が根強く、ポーランドの国境に近いウクライナ西部の街リヴィヴではユダヤ人の迫害(ポグロム)が起こり、6万人が民間人により殺害されてしまいます。
ナチスなどの政治組織ではなく、民間人による処刑まで行われてしまう悲惨な歴史を持ち、ナチスが大戦中にウクライナへ進行した際も、彼らの多くはソ連ではなくナチスを歓迎していました。その背景もあってか、ウクライナ西部からはネオナチ政党が存在し、今回の政変でも親露派への対抗馬にもつながるということもあってアメリカやEUは黙認している状況で、活発的になっています。
このように、ウクライナ西部では振り返ると民族意識が高まらずをえない悲しい歴史をソビエト政権の下で経験していてたこと、そして地下資源等が東ウクライナに比べて少ない状況なため、ロシアからの資源の供給や欧米からの経済支援を巡り、各国の干渉を招かれやすい状況になっている一面もあると言えると思います。
3.今後の日本への影響
日本はアメリカに追従して、今回のロシアへの金融制裁以外にウクライナ政権へ直接支援した場合、秋に予定されているプーチン大統領の訪日の可能性はなくなり、北方領土問題の解決が遠のくという状況にもさらされています。また極東では日中関係や日韓関係が悪化しているのもあって、ロシアとの関係悪化は日本にとって避けたい状況だと思います。実際にサハリンの石油・天然ガスの共同開発は進んでいます。やはり日本という大きな国でもアメリカやロシアの対立には、大きな影響を受けていると言えると思います。
RYOJI