世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

No.377:家族という関係


f:id:ryoji_japan:20160919230308j:plain

こんにちは。今は台湾にいます。さて、僕の狭い交友関係だけの話かもしれないが、日本人の友達と外国人の友達の付き合い方で顕著に異なるのは、後者は友達を家族に紹介することのように感じる。お母さんやお父さんに会わせたがる人が多い。しかし、日本の友達ではそのようなケースはあまりない気がする。

 

僕は思春期でもないので親に会わせても問題はないし、自ら友達の親に挨拶をしに行ったこともあるが、日本人だと家族に気を遣う文化は確かにある気がする。家族関係が希薄で親と連絡を取っていないという場合ももちろんあると思う。家族のことが嫌いな人は意外と多いらしい。ただ、家族は一番信用できる存在だと思うので、関係は良くしていた方が良いとも思うから難しい問題である。兄が結婚したこともあって家や家族のことをフッとした時にたまに考える。

 

人間社会が原始時代だった時は家族単位でその日暮らしをしていたと思うので家族が一番信用があったと思う。また、赤ちゃんは大人から長い間育てられないと死んでしまうから、近くにいた親は特に命の恩人だ。この点で親に感謝している。しかし、子ども時代はそんなことは愛情でもない当然のことと思っているので、育てられる過程で遊びが大事な時期に勉強ばかりさせられたりと執拗に干渉されたり、兄弟によって差別を感じて親を嫌いになっていくケースが多いよう。もちろん、暴力を奮うどうしようもない親が原因というのもある。

 

僕も親などの家族とのコミュニケーションが得意な方ではない。特に父親は典型的な昔の日本人という感じで、息子とのコミュニケーションが下手だ。父親も現代にフィットした父親像がわからないで父親になってしまったのだとは思う。このような環境で育ったので、僕も父親になることがあったら、背中で語るタイプになってしまうのかなと考えることがある。

 

昔、女の子の友達が「パパ!」と言っているのを聞いて、男兄弟で育った僕は驚いたことがある。そんなパパ!なんてフレンドリーに父親のことを呼べるのかと突っ込んだこともある。親は敬う存在でもあると思っているのでフレンドリーなのも変な一面はあるが、そういった友達の中の一人は本当に愛されているという感じがして、幸せそうだった。家族のエピソードばかり話してくれる。そんなにコミュニケーションを取れていることは何だか羨ましくも感じた。

 

やはり家族は大事にしたいし、特別な物にしたいという思いが誰しもあるから、そう羨ましく感じてしまうのだと思う。このように、家族が嫌いということで悩んでいる人も「温かい家庭像」がどこか正解だと思っている所も影響していると思う。親なのに、子なのに・・と自分を追い詰めるように。また、家族で幸せそうにしているSNSの投稿などに振り回されたり。

 

ただうまくいっている家族の絆は深いのは事実。中国の華僑のようなビジネスマンを見ていると国よりも家族を大事にしている。彼らは家族や親せきというだけで、富へのチャンスも近い。頼れるのは、最初は家族。僕もまだ自分の家系には誇りを持っていきたい。自分に子どもができなくても、これから生まれてくる一族の下の世代には、積極的にコミュニケーションを取ってあげたいと思っている。

 

日本は特に家と家との建て前の関係で親戚という物が形成されていることがあるので、お互いに気を使いあったりしないで、家族なんだから多少迷惑かけてもいいじゃないですかくらいに大きく構えていきたいものだなと考えたり。だって、子どもにそんな大人の事情で苦痛を与えたり、チャンスを奪わなければいけない理由などないのだから。

 

理想の家族は自分で作っていこうという結論を見出しながら、日本への帰路につくのでした。

 

RYOJI