世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

No.233:提供する側に回る


Dreaming...

Alexandre Dulaunoy

 

こんにちは。最近それなりに大きな仕事になりそうなことがあったが一時休止することになり、つぎ込んだ時間が惜しくまた結果に急ぎがちである最近の自分としては、少し勿体ないなと思いつつも、スッと忘れて、次、次と新しいことに目を向ける今日この頃でした。選択肢は多大にある!と自己洗脳しております(笑)

 

さて、「こういうことしたいな~」と思って、「何か主催してしくれている人や組織はないかな~」と探すことは色々な分野であると思います。どうあがいても難しい場合、この答えは自分が作ってしまえば良いということかなと思っております。

 

しかし、これにはかなりの気合いが必要で、またマインド構築も含めて地道な努力が必要なので、僕はこれから2年半はこの努力だけに充てることにします。少しずつ成長している気もしているので、生き急ぎつつも「ゆっくり」と。。。

 

人に頼りながらも文句を言うのは、どこか格好が悪い。人権のある国で先進国なら尚更、「そんな文句を言うなら自分でやればいいじゃん、それができないから今そうなんでしょ」ということで殆ど解決してしまうからです。しかし、できないから文句を言ってしまうものも人間です。これは誰にでも少しはあることだと思いますが。

 

例えば、自分が寂しがり屋だったとして友達が多い人を羨ましく思うのだったら、そういう交流の場を自ら作らないといけませんし、また周りのレベルが低いと嘆くのであれば、自分が一流になっていって一流の人が集まる場を作るのが一番の解でしょう。

 

しかし、文章では簡単に書けても、実際に行動する時に勇気が必要になります。それは、人間が「これ、したいな~」って執拗に思っていることは逆にコンプレックスの原因だったりもするからです。例えば、友達がいる人が異様に羨ましい人は対人恐怖症だったりもして、「自分が中心となることなんて自分には無理だ・・」と思い込んでしまうからです。何も興味がない人は、無理だとすら思っていないです。

 

身近な人に話しかけてみる→慣れる→交流の場を作る。っというのが流れかと思いますが、殆どの人が友達を作ることに慣れた頃に、交流の場をわざわざ作ろうとは思わなくなり、その環境に満足してしまう。そして、月日が流れて、生活がマンネリしていくと、色々な所で自分がおかれた現状の不満をグチグチ言うことになったりもします。

 

それを解消するものとして、やはり初心として「これしたかったな~」って思うことを実際に自分から行うことは、人生にインパクトを与える大事なことです。また、そういう人が場を作ることは、別の対人恐怖症で友達が欲しいと思っている人にとって意義のある場にもなりやすいです。

 

年末にオーストラリアに行った時に、「一人異国でカウントダウンするのはさすがに寂しい気がしてきた・・」と思い始め、旅行者に「一緒にどう?」って話しかけていたら、フランス人カップルが一緒に行こうと言ってくれたことがありました。そして、他に新年を祝いたいアメリカ人女性と合流して一緒に祝いました。あの時は凄い嬉しかったですね・・。よくわからないイギリス人と一緒に酔っ払い過ぎましたが。彼らとはフランスでも再会することに。

 

また、今僕は「世界の記述の子どもの教育向けサイト」を作ろうと、現在コンテンツを少しずつ記事を作成していますが、その内容は「自分こそがこうしていかなければいけないと思っている」部分はぶっちゃけて多く、逆にそれによって作るモチベーションが維持されています。青くさいのですが。

 

つまり、それを作る時に「自分ができないにも関わらず人に語っているという部分」が少なからずある訳です。例えば、「英語を完璧に話せないにも関わらず、自分が語学レッスンを提供するのは変だろ・・(※先生は自分ではないですが)」とか「歴史の知識でも、自分よりも上な人は沢山いるからな・・」などとメンタルが弱い時に色々なことを考えてしまう訳ですね。

 

しかし、そんな完璧に準備をしてからやるのでは理想が高くなる一方です。そして、まずスピード感がなく、ダラダラして、いずれやらなくなってしまう可能性が高く、最終的には初心をも捨ててしまう気がします。しかも、完璧に準備して始めたとしても上手く行く保障なんてないですし。経営学者が経営者として成功する訳ではないように。

 

そこで、どんな立場であれ、「自分がこうしうたいと思っても、そういう環境が既存にないから作る側に回った」という行動だけでも社会的な意義は高いハズだと思い込んでいます。経験がないと最初は陳腐なものになってしまうのですが、天才じゃない限り、最初はしょうがないと思い込んでます。「このビジネスモデルなんだよ・・」って思っても「しょうがない」と思い込んで精神を安定させます。

 

実際に、自分が「こうあれば良い」と思っていることは、ある一定数の人にとっても思っていることであるので、その人達にとっては準備だけして行動しない人よりは実際に価値が発生していると思います。なので、社会的な意義においても、批判している人は本来相手にしてはいけない対象です。

 

自分が求めるものに対して突き進んでいる人は、興味がなかったり関係ない人からは、ただの自己中に見えたり、バカげた行動に見えても、実は一定の人の為になっているということが沢山あると思います。

 

少なくとも、僕は陳腐なものでも自分から何かを始めた人は積極的に評価したいと思っていますし、そういう雰囲気がある社会は絶対に豊かなになると思っています。だって、大半の人は行動すらしないんですから。

 

自分が好き勝手にやってることだけど、それを突き詰めると人のためになると思い込んで、大それたことは「求めつつ」も「求めず」、作る側に回りたいですね・・っと思い込む今日この頃でした

 

RYOJI