世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

誕生日と人生10000日目の祝い方


birthday cake

Debbie R

 

こんにちは。昨日、スーパーフォーミュラのRound3として富士スピードウェイで行われていました。僕のロシアで一番仲の良い友人がレースクイーン経験者でレース全般好きなので、可夢偉選手についての話をしました。一方で彼女は地球環境に対してグリーンピース並に厳しいので、フォーミュラEの話なども。天然ガスが豊富なロシアでは流行らなそうですが、クレムリン近くでやっていました。

 

さて!前置きと関係ないですが先日に僕の「生誕10000日目」という口実で友達とランチしました!(笑)世界中の文化である「誕生日」は素晴らしいイベントですが、今の時代は少し味がある新しい祝い事があっても良いかなと、27歳未満の人に真似してくれれば良いという啓発も込めて。外国の人からは「これは日本のお祭り?」だと思われましたが(笑)

 

そう思うと、日本は文化的にも七五三やら成人式やら卒業式やら、結婚式以外にもライフイベントがある国ですよね。(僕は成人式や大学の卒業式に出てないので実感はないですが。)また、日本人は周りが優しいので(友達に寄りますが)周りから誕生日会を開いてくれることも。他国では自分から誘うケースが多いです。

 

すると、周りの人は誕生日会でケーキを食べたいだけの人もいる訳で、本人は本当に祝ってくれる人だけでなく彼らのためにも準備する必要があるケースも。友人の中に「誕生日は面倒くさい・・本来、自分が主役のハズなのに。」という女性もいます。

 

日本は周りが誘ってくれる文化、だが誘われないと一人寂しく(?)過ごす。他の国のように、自分から誘って祝ってもらう、だが親しい人以外も来る可能性有り。皆さんはどちらが良いですか?・・そんなこんなで、僕は10000日という謎のイベントなので自分から友人を誘ってみるのでした。

 

僕は友人に50%は来てくれることを期待し、50%は来ないかもしれないなという感覚でいつも誘っています。自他共に「行く行く~!」っと言って、やっぱり無理だったというパターンは50%くらいはありますよね…?

 

いつもはこんな感じで緩く遊びを誘うんですが、友達を誘っていくうちに、自分の10000日目という想いが次第に強くなって真剣に誘っているのがわかりました。マジか・・来れないのか・・って残念に思ったりして。正直、認知度的にもどうでも良い日なんですが(笑)

 

今はFacebookなどSNSの機能がついていて、誕生日を把握するのが簡単になり、気軽に誕生日メッセージを送ることができるようになりました。僕はなるべく漏れのないように誕生日おめでとうメッセージを日々送っています。そして、自分に送ってくれる人には全て違う内容でコメントを返して近況を確認し合うのがここ数年の流れです。

 

誕生日を祝うのが簡単になっていくと事務的になっていきそうなので、本当に親しい人には、「SNS関係なく、覚えていたこと」を示すためにも、前もって「来週誕生日だね!」みたいなことを前もって送ることはあります。それでも忘れちゃうのですが(笑)、相手を喜ばしたいなら結構良い方法だと思いますよ。

 

しかし、そもそも誕生日は、自分よりもにとっての記念日だと僕は思っています。親が腹を痛めて生んだ日であり、自分としてはただ運命に身を任せて、その日に産声をあげたに過ぎませんから。なので、相手が親と仲が良い場合に限り、「お母さんに産んでくれてありがとうと言っておいて」って言うのが一番の「誕生日おめでとうメッセージ」かな・・なんて考えています。キザ過ぎますが。

 

さて、10000日というと今の平均寿命を考えると人生の3分の1が終了した訳で、活動量としては一番パワーのある10000日間だったので、人生で起こす残りの活動としては実質2分の1くらいが終わってしまったのかもしれません。恐らく人間の寿命はこれからも伸びますが、不幸なことが起きず健康で生きられると良いですね。また、まだ人生8000日目くらいの人は、どんどん活動して欲しいですね。

 

僕は人生に年月はあまり関係ないと思いたがる節がありますが、実際にも今の脳は過去の経験を都合良く「記憶」をしているだけです。その記憶は何に結びつくかが本当にわからないため、動けるうちに色々やるだけでも人生の選択肢がプラスに広がることがあるなぁと感じています。(実際には脳にある「記憶」も日々更新されているため正しい記憶ではないそうですが、脳が認識するということは自分にとって「そういうこと」になります。本当は自我もいい加減らしいですね・・)

 

そして、人生の流れで不思議だなと思うのは、一生懸命がんばらないとゴールにいけないし、一生懸命がんばってもゴールにいけないし、ゆるくやっていると現状は変わらないし、かと言って、ゆるくやっていた方がゴールにいけたりもします。人間の目標は曖昧だからでしょうか・・?僕は最近、結論を急ぎすぎて逆にグダグダしている傾向があるので、あることに気付きました。それは「選択肢を増やせば全体のバランスを保てるな」ということを。

 

特に、やりたいことを一つに絞ると息苦しくなるので、取りあえず「何でも手を出す」というのが良いかなって最近は思っています。行動しないことが一番いけないことで、知ったかで頭でっかちになってもしょうがない。そのため・・

 

・一生懸命がんばろうと思う目標

・ゆるくやってゴールを目指す目標

・ただただ諸行無常を受け入れる

 

をバランス良くして生きていくことにします。一生懸命がんばって目標に辿り着かないと、ショックをかなり受けます。そして「あんなに努力したのにっ・・」て悔やむことに対して、早めに「終わったことだし、どうでも良いじゃん」という感じにしたいですよね。僕はそれを損切りと言ってます。そのためには、「それ以外にも選択肢はあるのだ」という心の支えが必要になる訳です。

 

0・100思考ではなくて、10・10・10・・みたいに選択肢を増やし、頑張らずにテキトーにやって目標達成しようとする自分も作る。そんなことを考えています。その代わり、逆にうまくいって幸せな時も、そのうまくいったことだけで満足はせず、今までと同じように他の選択肢についても動くという、幸せをおすそ分けするメンタルバランスも大事です。

 

つまり、選択肢をいくつか作って、ダメだったら次、ダメだったら次、万一うまくいっても、それだけには集中せず、うまくいったからこそ新しい道を見つけては次、次、と気軽にいけるように。そんな訳で、10000日目以降は、万物は流転する自然の摂理には逆らわず、より運命に身を任せて生きていきたいと思うのでした(笑)早速、昨日はうまくいかなかったことがあり凹んでますが、ガツガツしていきます。

 

なんか少し怪しいですが、27歳未満の皆さん10000日目を記念日として皆で祝ってみてはいかがでしょう?50代前半の方は20000日も!

 

RYOJI