世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

社会の裏と向き合う時


Jeepney DKU-464 and Baliwag Transit Inc Hino RF NVT-923 (fleet No 2016) in J Abad Santos near Solis Street, Tondo, Manila, Philippines.

John Ward

 

こんにちは。最近、ブログ毎日更新が危うくなってきています。Wi-Fi環境の問題もありますが、時間とネタが不足しているからかもしれません(笑)しかし、150日間(約5か月)くらいはブログの毎日更新をしてみたいと思っていたので、それまでの残り数日は毎日更新しようと思っております。

 

150日以降は2日に1度の更新を続けていきたいなと思う今日この頃でした。いつも見ていただき、ありがとうございます。ブロガーの皆さんはどのようなタイミングでブログを更新していますか?


さて、そんな今日は朝4時半に起きて、フィリピンはセブからマニラへ移動し、マニラをがっつり観光していました。

 

マニラと言うと治安が悪いというイメージがありネガティブな要素が強い印象がありますが、今の所そこまでは感じていません。しかし、都会ならではの混沌とした感じはあります。また、物乞いの人もセブよりも多く会います。

 

日本では戦後数十年に比べれば、現在少なくなってきているのもあり、外国を旅をしていると、こういった物乞いの人と出会う確率は高いので特に日本人の同世代は最初は戸惑うかもしれません。

 

やはり子どもに来られると慣れず、表情では断っても、心が痛くなるのは事実ですね。自分は彼らと比べたら不自由な人生を歩んでいなかったですから。子どもに限らなければ、全世界どこでも物乞いの人とは出会っています。

 

楽しく友人とお酒を飲んでいる時、観光地で写真を撮っている時、いつも複雑な想いをしたのでした。そして、日本は世界の中でも平均的な人が多い社会を維持してきた所は、良い所あったなのだなと思うこともありました。

 

とある中国の京劇役者だった方が、物乞いとして働くことを決意したまでを取材していた北京にいる日本人が居るという話を北京で聞いたことがありますが、とても素晴らしい活動だなと感心したのを覚えています。

 

彼らを一時的に助けたとしても、それが彼らの手に本当に渡るかわからない所は色々なシチューエーションで見たことがありました。また、多くの募金と同じで根本の解決になりにくいことは知っています。やはり社会は簡単に変えることはできませんからね。


このように、僕も自分があげた所で彼らを救えるかわからないなど考えるようにして断っていますが、それでもどうしても自分の気持ち的に無視することができない瞬間があります。そこで自分の気持ちで払うことは何度もありました。


ロシアのハバロフスクの友人は、いつも見かけたら彼らにお金を渡していました。また、ベルギーの友人は、リエージュで犬を連れている物乞いの人に、犬の分も含めてパンを買って渡していました。

 

僕は敢えてドライになり、渡すことでは解決にはならないと思いこんでいましたが、彼らの優しさを否定することもできる訳もなく、そういった光景を見てとても気持ちが揺れるのでした。また、確かに食べ物だったらお金のようにツール化しないし救えているかもしれないな・・など。


こういった社会の裏は、旅などを通して知れば知るほど程、この世の不公平さを実感することにもなります。ここには少し書くのを控えたいような酷い事例は、旅をしていてもう沢山聞いてきました。しかし、こういった世知辛い世の中にも本当に善人のような人も存在するのがこの世の救いです。


また僕たちは今世界で起きている問題を、過去の事例を基準にして、解決できるか解決できないかを考える癖があると思います。例えば人類の「飢え」は永遠のテーマでしたが、実際は日本を筆頭に多くの先進国が残飯を出している分の食糧が、そういった人達にシェアされる仕組みができさえすれば飢えはなくなる時代も来ていると思います。


食べ物を残す人や金持ちを一方的に否定することも感情的な議論にしかならないので、よくはないと思います。富の再分配にしても富裕層を否定するのではなく税金の”仕組み”を変えることが大事だとも思います。貧富を対立軸で考えず、富がある人の方が資産がある分、社会を動かしやすいので、僕はその社会の成長自体にとても希望は持っていて彼らに期待です。

 

実際に30年前の若者と比べれば、世界の情報が簡単に手に入れることができるようになりましたし、世界的に音楽を常時スマートフォンなどで聞くことができるようにもなってきています。旅も本当に容易になりました。

 

こういった技術革新によって社会全体の発展につながっているは事実なので、これからも貧富の差を意識し過ぎるのではなく、またケイマン諸島の富裕層の財産などはあまり考えない方が健康的のように感じます。


そして、なるべく募金などではないと形で社会が発展することが、こういった社会の裏を解決する手立てにもなるだろうなっと個人的には思いました。以上、雑感でした。



RYOJI