ウラジオストクと日本の関係
ロシアのウラジオストクとハバロフスクの旅を終えてモスクワに向かう中でブログを更新しています。諸事情により途中ロシアのウランウデから乗り換えて、モンゴルへ列車で行く日程を変更しました。
さて、個人的な話ですが、先日の台風のため鳥取の境港からの出航が中止になったことから東京へ引き返し、成田空港から再びS7航空でロシアはウラジオストクへ行きました。
ウラジオストクと言えば明治時代頃から日本人は移住し始め、ロシア革命のロシアの混乱時に、この混乱に乗じた日本軍が干渉したシベリア出兵の始点となった土地でもあります。
(日本人街があった時代には、浦潮本願寺というお寺がありました)
ソ連時代はウラジオストクには外国人が住むことができなかったことから、ソ連時代はあまり日本との交流があまりない街となりました。ウラジオストクから東の海岸沿いにはナホトカという町がありますが、ソ連時代はその町と横浜港を結ぶ船が日ソの交易として活躍していたそうです。
ソ連崩壊後は、貿易港として日本との交流も増えるようになり、新潟港や鳥取の境港などとウラジオストクを結ぶ船もあるため、特に日本海地域や、樺太(サハリン)に近い北海道の街と極東ロシアの間で交流が少しずつ生まれたようです。
東京に住んでいると馴染みが薄かったのですが、多くのロシアの知人は、鳥取、新潟、函館などの大学との交流プログラムに参加していたりします。また函館にはウラジオストクにある名門の極東大学の分校があります。
2012年にはAPECがウラジオストクで開催されたため、その流れで、ウラジオストクの開発が進み、会場となったルースキー島を結ぶ大きな橋も建設されました。ロシアとしても極東開発のために日本から投資を重視しているのもあり、昨今では以前よりも増して日系企業が進出しております。韓国や中国の方が個人的に交流が深い印象がある街ですが、自動車で考えると日本車が主流です。
そして、カジノを建設する話も浮き上がっておりカジノが完成した場合には、日本人観光客を誘致も考えているため、72時間以内であれば日本人はビザが不要にする案も出されております。(しかし、現在はウクライナ情勢によるロシアの孤立化と日露関係の悪化で進展があるか定かではありません)
(ウラジオストクの夜景)
いずれにせよ、北方領土のビザ無し交流地域を除いて現在は日本人はロシアへ旅行するためにはビザが必要です。ロシアの旅を自由に行うためには、ちょっとした苦労もあったため、その辺をこのブログで今後紹介できたらと考えています。
しかし、とても長閑で日本海の街という感じがします。
(写真はシベリア鉄道の始点ウラジオストク駅)
RYOJI