世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

No.370:香格里拉(中国)にて


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こんにちは。前回に引き続き毎週水曜日は人との出会いを含めた旅コラムを書いていこうと思います。今週は先週の麗江につづいて、中国は香格里拉(シャングリラ)についてです。

香格里拉を訪問した5月は当初私はイランに行く予定があったのだが、航空券が高かったためキャンセルをした。そんな時に台湾の友人と新宿で東京で飲んでいて旅の相談をその友人にすると「香格里拉はお勧めだよ」と言うので、イランの代わりに行くことにした。シャングリラと読むが、イギリスのジェームズ・ヒルトンの「失われた地平線」から来た名前のよう。(行ってから知りました)最初はえ?どういうこと?という印象だった。

シャングリラの舞台はこの町(デチェン)であるという地元の声が高まり町の正式名称になったようだ。そして、中国のみならず外国からも来る観光地になっている。

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そんな香格里拉へは麗江からバスで4時間程かけて向かった。標高は高くなっている模様。香港のように香はホンと広東語では読むので、広東や香港だとホングリラとかそういう変な読みになってしまうのだろうか?(笑)などと考えながら到着した。4000mくらいの地域だが、全く高山病にはならなかった。

 

ここは雲南省の北部に位置し、チベットにも近いためチベット族が住む地域で、文化は完全にチベット。また、チベット仏教のお寺の写真をSNSにアップしたら、外国の友達からフリーチベット!のコメントが相次いだ。デリケートな問題である。

 

人としては顔も違い言語も少し違う印象を受けた。また、レストランで注文を受けていた若い兄ちゃんは漢字でメモを取っていない様子を見ると、こんな時代でも簡体字が普及していないのかとか、そもそも受け入れていないのかと色々一人で妄想した。と言っても、チベットの人とはロシアのウラジオストクで交流したことはあったから珍しくはなかっが再認識。

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(ここでも雲南米線を食べることができました)

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チベット仏教がある寺院から眺めると人々が踊っていた。これはチベットであろうが、THE中国という感じの光景。僕も踊りに参加した(笑)ただ、民族衣装が特徴的だった。

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翌日に普達措国家公園という中国で一番古くに認定されたらしい国立公園にバスで向かう。国立公園というのもあってかツアー形式で参加する形だ。観光地プラスの中国の経済成長に伴ってか料金は値上がり中らしく、5000円以上かかった。

 

4000mに位置しているため空は透き通っており、草原でヤク(Yak)の牛に癒される。中国の観光客のオジサンが山彦遊びをしていたので、僕も「ニーハオ!」と叫び返した(笑)標高が高いのもあって少し息切れをした感じがするも、空気は新鮮だった。

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また、香格里拉の代表的なお寺松赞林寺(ソンツェリン寺)に向かう。チベット寺院でチベット拉薩(ラサ)にあるポタラ宮殿に作りが似ているなと思っていると、ここはチベット仏教ゲルク派)のお寺で、またダライ・ラマ5世時の創設ということで、ラサのポタラ宮殿と同様に彼の時代(17世紀)に建設が始まった模様。世界史を思い出すなぁ。

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帰りにバスを待っていたが全く来ないので白タクで他の観光客と共に街に戻る。その中に中国人の学生がいて、夜に一緒にご飯を食べることになった。日本のアニメが好きなようだった。彼は雲南省バックパッカー的に旅しているようで、僕が世界を旅した話をしていたら驚いていた。そんな形で夜は更けていく・・。

 

香格里拉には2泊3日しか滞在していなくて少し忙しない旅であったが、チベット文化ということもあってか、新鮮な形で異国情緒を満喫した。そして、中国と言っても本当に様々な文化が混在する地域なのだと再認識した。

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また、旅を続けてきたこともあって出会いの幅は広がり、友人のサポートがあってこの旅は実現した所もあって、本当に友人には感謝しつつ、僕はここから香港に行くこととなった。

 

RYOJI

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