No.298:クアラルンプール(マレーシア)にて
こんにちは。先週に引き続き、水曜日は人との出会いを絡めた旅コラムを書いていこうと思います。今回はマレーシアは首都クアラルンプールについてです。クアラルンプールはエアアジアなどが就航しており、行きやすくなりました。
僕も東南アジアを周遊する旅行をするために、エアアジアでこのクアラルンプールを基点として旅行をしたことがあった。あまり安くなくて残念だったが、片道4万程かけて夜に東京から飛ぶことに。すると、たまたま同じ飛行機に乗るみたいで空港で友人と久しぶりの再会。待合ゲートで話しながら飛行機を待っていた。
友人はマレーシアに妹が住んでいるようで会いに行くのだそう。そして、クアラルンプールでお互いに時間が合う時に飲む約束もした。クアラルンプールに明け方に着き、それぞれ宿へ。チェックインするには早すぎたので、空港の外で朝まで待つ。
そして、インド人街の近くにあるホステルに行き荷物だけ預けてもらい色々と周る。夜は、マレーシア人の友達と会う。そこでマレーシアのホワイトコーヒー飲む。日本のアイスコーヒーのように氷を入れるのが何となくアジアっぽい。
また彼の友人とも会う。男同士だと女の話になるもので、日本人女性や韓国人女性は彼らにとっては人気みたいだった。また、翌日もこのマレーシアの友達と会う。
翌々日は市内を観光して、夜は成田空港で久々に再会した日本人の友達とその妹と飲む約束をしていた。日本ではなくマレーシアで再会するって面白い。でも旅を続けていると、こういうことがよくあるものだ。
(歩いてクアラルンプールの中心部を周ります。写真は最高裁判所のようで、イギリス統治時代に建てられた建物のようです。)
マレーシア航空機の行方不明事件が起きた直後にマレーシアに行っていたのもあり、ボードに観光客や市民が応援やお祈りのメッセージを寄せ書きしていた。インド洋で破片が見つかった等、色々情報はありますが、現在も未解決となっています。
夕方はクアラルンプールのタイムズスクエアで友人姉妹2人と待ち合わせ。友人が住むコンドミニアムへ。彼女はクアラルンプールに英語留学として来ているようだった。彼女のシェアハウスに行き、ルームメイトの皆と一緒にご飯を食べることになった。韓国のお酒も飲む。
ルームメイトにはカザフスタン人と韓国人と台湾人がいた。僕はカザフスタン人とは東京でも色々と交流があったので、そんなネタでも話が弾む。日本に来るカザフスタン人の学生は首都圏に来るのが殆どで、また市川あたりの語学学校に留学することが多い・・そんな話もしてあげた。
友人の韓国訛りの英語モノマネが面白かった。そして、英語留学は色々な所で流行っているんだな~と思うのだった。僕は英語に関して当時は無関心だったので、自分がその後フィリピンへ数ヶ月英語を勉強しに行くとはこの時は微塵も思わなかったが…
そして、マレーシア人の友人にクラブに誘われていたので、22時頃皆と別れて、クラブへ。行ったのはZoukというクラブで、現地では有名なクラブのようでした。友人が2階のVIP席が取ってあるからっと招待してくれた。ゆったりできる。そこで、友人の友人とも挨拶をする。なんかすごい綺麗な女性もいるけど、これは本当の恋人かな・・(笑)
(クラブの熱気は東南アジアのイケイケ感が伝わってきます)
友人がどんどんとお酒をくれて、ポーランドのウォッカなどを飲む。翌日インドネシアに行く予定だったが、今を楽しむしかないと楽しむ!しかし、どこか保身的な自分は2時頃に皆と別れてホステルへ向かうのだった(笑)
クラブでは日本人女性もいたり国際的。先ほど会った僕の日本人の友達も後からここへ来ていたみたい。また、日本と違う熱気を感じるのが東南アジアの魅力だなと思うのだった。かつてのマレーシア首相マハティールは(当時バブルだった)日本を見習えとルックイースト政策を掲げたが、これからは逆になりそうな感じだなぁ。
(Airasiaを多用し、翌朝はこの飛行機でLCCターミナルからインドネシアのバンドンに向かいます。飛行機のチケットに空港までのバスチケットも含まれていました)
また、インドネシアの旅からマレーシアに再び戻ってきた後は、間違えて予約してしまった”時間制”のホテルへチェックイン。仮眠しかできない。その後、東京で知り合ったマレーシア人の華僑の友達と会う約束があったのでミッドバレーでランチ。ちょっと忙しい。
中国人観光客は増加傾向なので、観光事業に関してはバブリーな様子だった。また日本人の若手サラリーマンと比べものにならない程、彼は稼いでいる。そして、中国語が使えて行動力がある人は凄いなと感心。最後に起業した方が良いよ!と勧められる。
そして、僕は彼とランチをした後にミャンマーへと向かうのだった。
RYOJI