No.259:キエフ(ウクライナ)にて
こんにちは。先週に引き続き、金曜日は人との出会いを含めた旅コラムを書いていこうと思います。
ウクライナで初めて訪れた町は首都キエフ。ベラルーシのミンスクから夜行列車に乗って、ウクライナの首都に向かった。ベラルーシでは直前まで友人とご飯を食べていたので、電車に乗り遅れそうになったが無事に乗れた。
ベラルーシはビザが必要な国で、ベラルーシの北にあるリトアニアから南下する形で旅をしていたのもあり、僕はリトアニア首都のビリニュスのベラルーシ大使館で通過(トランジット)ビザ取得していた。このビザを取得するためには、証拠としてベラルーシを入出国する電車のチケットを示す必要があり(リトアニアでベラルーシ・ウクライナ間のチケットも買うことができていたので)、電車は変更できない。
22時頃にミンスクを出発して朝6時頃にはついた記憶がある。夜中にパスポートをチェックしてベラルーシを出国し、朝キエフ駅に着いた時に、ウクライナの入管の人間が車内に入国スタンプを押しに来て、押された人から順次下車できる形だった。日本人のウクライナへの観光にはビザはいらない。
(寝台列車の向かい側の家族。男の子をあやしたおかげでコミュニケーションが捗った。)
ホステルのチェックインまで時間があったので、キエフ駅近くにある朝マックでグダグダ過ごす。しかし、それでも時間があり過ぎたので、荷物だけ預けてもらいたいとホステルに行った。
そこにはロシア語を学んでいて日本も好きなスペイン人、ガーナ人のウクライナ内戦を取材しているジャーナリスト、カザフスタンで働いているアメリカ人などがいた。このジャーナリストは頻繁に江南スタイルを流していて、うるさいと他の旅行客によく怒られていた(笑)シャワーを浴びず、そのまま中心部まで行ってウクライナ料理を満喫。
そして、チェックイン時間になってホステルへ行き仮眠。ゴロゴロしている時に、東京で知り合ったキエフの知り合いにFacebookでメッセージを送った。今仕事でキエフにいないかもしれないなと思っていたが、運が良くキエフにおり「車で案内してくれる」と言う。そのため、彼が仕事を終える夜まで、イタリア料理屋でご飯を食べてゆったりする。店員さんは英語はあまりできなさそうだったが優しい人だった。この店の前で待ち合わせ。
彼と会うと「ウクライナに本当に来たんだな~!」と言ってくれて、有言実行できて個人的にも嬉しかった。僕は色々な国に「行く行く!」と言って、全てに行けていないので(笑)自分でこれを行く行く詐欺と言っている。
また、韓国が好きな別のウクライナ人の友達が、たまたまキエフに帰ってくるタイミングと僕がキエフにいるタイミングが重なるというミラクルが起きたのでキエフ駅で会った。これくらいの時期に東京で会えたら会おうという話をしていたので、まさかキエフで会えてビックリだ。
僕はもうヨーロッパの気候に慣れているが、その友達は韓国の気候に慣れているので、キエフは寒い!!と言っていた。やはり湿気がないだけで感じ方は違うんだろうな・・と。そして、キエフ駅の向かい側にある建物の屋上にあるピザ屋さんで午前中からビールを飲んだ。
この友達はキエフ出身ではないのでキエフのことをよく知らない。なので、なぜか僕がここに行こうよ!と案内をすることに。セルフィー大好きの女性だったので自分を被写体にして写真を撮るのも大好きな感じ。まるで僕の方がツアーガイド。
ちなみに、この友達はマリウポリという黒海に面した町の出身。ドネツク州というのもあって、内戦による被害も大きい町だったが、特に友達は気にしていない様子。お母さんが韓国帰りのこの友達をキエフで待っていて、この日に一緒にマリウポリに帰るようだった。僕もこの日に西部のリヴィウに移動するので、お互いこの日にキエフを離れることになる。
お互いの出発直前にロシア発の日本食チェーン(鳥居のマークの店)に誘ってくれて、ビールを奢ってくれる。「来てくれた、お礼!」と。僕も「東京でビールを奢らせて!」と約束して、なぜかそのお母さんとも会って挨拶をし友達とさよならを告げる。この友達は現在、また韓国に来ていて、極東で今年も会えたりして。
そして、僕たちはキエフ駅に向かい、お互いが違う方面へ向かうのだった。この後、僕は車内で酔っ払いに絡まれるのだが…笑
RYOJI
A31 地球の歩き方 ロシア 2014~2015 (ガイドブック)
- 作者: 地球の歩き方編集室編
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2014/05/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る