世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

東日本大震災当時は


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(震災の年に釜石を訪れた時に撮影した日本国旗より)

 

こんにちは。本日3月11日で東日本震災から4年が経ちました。恐らく日本でもニュースになっていると思います。震災の直前に僕は世界を旅行していて、卒業の「ライブ」のために日本に帰ってきました。そして、学校で新曲を友人と作っている時に揺れが来るのでした。

 

揺れが一旦おさまった後に余震が続いているのにも関わらず、僕は「時間がないのでレコーディングを続けよう」と言って再びスタジオに戻って友人を怖がらせてしまったのを今でも覚えています。

 

当時バッシングされていましたがJR東日本は駅を閉めていて、帰れない後輩もチラホラ。僕は地下鉄だったので帰れましたが、彼らは心細いだろうからと学校で一緒に朝まで迎えることにしました。情報がまだ入ってこなかったのでそこまで警戒はしていなかったのを覚えています。

 

そして、朝に家へ帰ってみて津波の被害を目の当たりにして、大災害であったことを知りました。また世界的なニュースにもなっており外国の友人からも連絡が来ました。僕が中東にいる時にはアラブの春が起きたし、日本に帰ったら帰ったで震災が起こったりしたので、僕の中では「これが世界なんだな・・」とあまり動揺せずに事実を受け止めていたのを覚えています。

 

また、原発事故への対応は特に連日ニュースになっていて、僕の地域はありませんでしたが計画停電というのも実施されていました。これも賛否両論ありましたが。僕はそんな中、友人を誘いまたレコーディングの準備をしに学校へ行きました。この時は誰も学校へ来ていなかったので、外に音をたれ流しながら練習していたのを覚えています。

 

誰もいなかったのは自粛ムードというのが起こっていたのも理由にあるかもしれません。僕自身も行ったことがない九州一周を最後に企画していましたが、余震が続く中で旅行をしている場合じゃないな・・と中止をしました。しかし、よくよく考えてみると「なぜ、自粛する必要があるんだろうか?」と思い始め、友人や先輩を誘い歌舞伎町に行ってみました。すると、あの歌舞伎町まで静かになっていてビックリしました。

 

本心からではなく周りを気にしながらの自粛すること程、偽善的なことはないなと思うと同時に明るい方がもっと日本のためになると思うのにな・・なんて思ったのも事実です。なぜなら今では、被災者が傷が癒てなくても普通に皆お酒を飲んでいて、3月11日だけ震災を思い出す人が殆どなのですから。

 

しかし周りを気にして自粛してしまう人の気持ちもわかります。それは、テレビや食品会社などに対しても行われる過剰なクレーマーのように関係ない人でうるさく言う人が増えてきたからでしょう。日本はどんどん人に厳しい社会になっていきそうだななんてことも当時考えていました。


そして、旅行から帰ってきた目的でもあったサークルの卒業ライブは中止が決定されました。僕は決行を希望していましたが、皆の実家が東京という訳でもないので、これは自粛とかではなく現実的な理由で中止になりました。また、大学の卒業式も中止に。あの余震が続く中、ほぼ自宅に待機して、社会人生活が始まるのを待っていた感覚は今でも忘れられませんね。

 

2011年のGWは予定が合わずボランティアはできませんでしたが、この年に夏に釜石の方に泊まり込みでボランティアに行くことにしました。家の底に溜まった泥などを取り出す力作業です。また、夏になっても被害状況が明確に確認でき、全く復興されていない所にはショックでした。あれを老夫婦や女性がやるのはかなりきついなという印象を受けました。

 

あれから地震が起こる度に少し腹が立ってきたりもします(笑)またかよ!と。そして、多くの外国人が母国へ帰っていくのを目の当たりにしたのも悔しかったです。でも、そこから次は必ず日本を楽しませてやる!と思うようになり、現在に至るのでした。

 

僕はこういう日だけに震災を思い出するのは少し失礼な気持ちもあり、被災者の方の本当の辛さがわからないと思っています。しかし、当時生まれた子ども4歳。時代は良い方向に変わっていくものだと信じているので、外野から語らせていただくのでした。

 

RYOJI