東京大空襲後に再建された建築物
こんにちは。今日3月10日は米軍による東京大空襲から丁度70年の日です。およそ10万人の民間人が死亡したという無差別爆撃でした。地元にも東京大空襲に関する博物館があります。あまり東京以外の人には知られていないかもしれません。
当時日本領だったサイパンなど本土に近い島々で日本軍に勝利をしたアメリカ軍は、B29を準備して本州の爆撃に乗り出します。そして、多くの大都市に向けて無差別爆撃を開始します。「焼け野原からの復興」とよく言われるように、多くの都市では空襲で焼け野原になりました。そんな今日は東京大空襲で焼失した建造物について書いていきたいと思います。
・皇居
皇居の外側にあった参謀本部が焼失した際に明治宮殿に飛び火して全焼したと言われています。米軍は皇室を直接攻撃する意思はなかったと思っていたので、皇居が焼失したとは今日まで知りませんでした。
・浅草寺
外国人にも観光名所である浅草寺。五重塔が焼失したようです。ちなみに雷門は米軍によって焼失した訳ではなく、19世紀の火災で焼失したようでした。1960年に松下幸之助氏が雷門の復興に協力したことは有名です。皆さんも提灯の下に「松下電器」と書かれているのを見たことがあると思います。
・東京駅
戦争により焼失した東京駅は1947年に戦前の形より小さい形で再建されたそうです。記憶にも新しいですが、2012年には戦前の姿に再び再建され、東京駅の特徴でもあるドームを見上げながら写真を撮る方も多いです。戦後すぐに再建された東京駅の形については、戦前のものとどう違うかは詳しくは存じておりません。
・増上寺
徳川家霊廟や五重塔が焼失したようです。今では東京タワーと同じタイミングで訪れる観光スポットでもあります。
・明治神宮
創建当初の主要建築物が焼失してしまったようです。また、戦後にオシャレな街というイメージを築いてきた表参道駅周辺も多くの空襲被害を受けたという話は地元の人から聞いたことがあります。
・日枝神社
日枝神社の山王祭は東京のお祭りは有名です。僕も参加したことがあります。ここの本殿も空襲によって焼失してしまいました。
焼失した後に昭和天皇が視察されたことから、記念碑も立っています。ちなみに、ここは伊能忠敬が出発した神社です。最近では伊能忠敬像も建っています。
・歌舞伎座
戦前は豪華な施設でしたが、東京大空襲で焼失。戦後に再建をします。また、こちらも東京駅のように記憶に新しいですが、2013年にオフィスビルと併設される形でリニューアルオープンをしていました。昨年は駅からすっかり変わってしまって驚いたものです
これらの大学は戦前からも名門で明治時代の建築物も多く残っている印象があります。しかし、慶応大学三田キャンパスにあった三田大講堂などは東京大空襲によって焼失してしまいました。
東京大空襲の被害は意外とアメリカ人のみならず日本人もあまり知らなかったりします。この日に思い出して見ると良いかもしれません。
最後に少し辛口になりますが、アメリカ軍は京都や奈良などは歴史遺産あるため攻撃しなかったという作られた美談がありますが、これは東京・名古屋・大阪などの空襲の被害を調べてみるとただの美談にしか過ぎないとわかると思います。しっかりと歴史は偏らず客観的にも知る必要があると思うのでした。
RYOJI