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世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

インドネシアのバンドン

インドネシア

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インドネシアはバンドンのモスクより撮影しました。)

 

こんにちは。僕はオーストラリアはあまり興味がなかった国でしたが、ハッと行くべきだというお告げが来て(笑)、2013年の年末という高い時期に渋谷に行くのと同じような感覚で行ったことがありました。シドニーに1人ポーランド人女性の知り合いがいるだけで、他は誰も知り合いがいない国なのでカウントダウンは一人で過ごすことになるかなぁと漠然と考えての渡豪に。

 

友人との待ち合わせに前もって遅れることを伝えていたものの、遅刻したことに怒られつつ、「旅人が集まるパーティに行こう!」と言われ、ダーリングハーバー沿いの店に行きました。とても心地良い店でした。そこには色々な国籍の人がいる中で、インドネシアの女性がいました。

 

彼女の出身地はバンドンということ。インドネシアはいつか行ってみたい国の一つだったな・・と思い出し、4カ月後に行くことに決めました。今思うと、このシドニーから世界中に新たな縁が生まれました。さすが移民大国です。今日はそんなバンドンについて書いていきます。

 

その女性はシドニーで働いているので、僕がバンドンに行く時は会えませんでしたが色々とアドバイスをくれて、日本に興味がある友達がいるから紹介すると言ってくれて実際に会うことにもしました。バンドンへはエアアジアを使用し、クアラルンプールから飛んで行きました。

 

このバンドンはスカルノ元大統領が主催したバンドン会議で有名な街で、年配の方は特にご存知かと思います。そこでインドネシアの歴史をざっと説明すると、様々な王国がスマトラ島やジャワ島に興亡しますが、マラッカ海峡を支配していたシュリーヴィジャヤ王国(マレー系)がスマトラ島やジャワ島を長い間、支配します。中国が唐の時代に旅人、義浄もここに訪れていました。

 

このシュリーヴィジャヤ王国が14世紀頃に衰退する時、ジャワ島東部にマジャパヒト王国が栄え、シンガサリ王国を滅ぼしたモンゴル軍を敗退させるなどします。また当時はヒンドゥー教や仏教がメインの国が興亡していましたが、ジャワ島でイスラム教マタラム王国などが栄えます。(現在、イスラム教徒の人口が最も多い国がインドネシアです)

 

16世紀頃、ヨーロッパ諸国が積極的に香辛料貿易を続ける中、オランダ東インド会社がここに進出し、オランダは今のインドネシア全域を植民地支配します。17世紀初頭まではイギリスもインドネシアに進出していて、鎖国前の日本人もインドネシアに進出していました。

 

しかし、1623年にアンボン島にあるイギリス商館を焼き払う事件が起き、オランダはアンボン島にいたイギリス人、日本人を中心に斬首します(アンボイナ事件)そして、この事件をきっかけにイギリスはインドネシア権益を手放し、インドへの進出を目論むことになります。

 

第二次世界大戦が始まると日本はオランダに宣戦布告し、このアンボン島も含めたインドネシア全域に進出します。そして、オランダは日本に降伏し1942年からは日本による支配が続きます。

 

過酷なオランダによる支配を受けていたインドネシア人の多くは最初は日本軍を歓迎しました。そして、後の大統領となるスカルノも日本軍に協力し、日本軍としてもインドネシア人に軍備を整えるよう協力しました。日本軍が劣性になると日本による支配も過酷になり独立気運が高まり、日本軍降伏後にオランダが再びやってきますが、独立を勝ち取り現在に至ります。(インドネシアに残ってオランダと戦った日本兵もいました。)


独立後も東ティモールとの紛争や、他一部地域においては内戦や宗教紛争が絶えない国にもなっていますが、ジャカルタを中心に経済発展をむかえている国で日本企業も現在積極的に進出しています。

 

東南アジアを支配していたアメリカ、イギリス、フランス、オランダなどは日本軍により一時敗退して植民地を手放しますが、日本降伏後は再植民地化に積極的になります。しかし、(ベトナムは日本軍の撤退後も長い間戦いが続きましたが)東南アジアのほぼ全域が独立を果たし、アジア・アフリカ全域もヨーロッパ諸国からの独立を勝ち取っていく時代になります。

 

そんな中、1955年にインドネシアスカルノを中心にインドのネルー、中国の周恩来、エジプトのナセルなど植民地支配から解放したリーダー達が、反植民地主義民族自決を謳うため一同集結する平和的なイベントを開きます。それが、バンドン会議でした。

 

実質、植民地支配をしていた日本も招待されることになりました。中国も政策的に反日政策する前だったのもあったのか、反日感情はあまりなく歓迎してくれた国も多かったのだとか。実質、ヨーロッパ諸国が日本に敗退したことは、独立のきっかけを与えていたという見方もあるので。

 

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スカルノ大統領が演説した時の再現。日本ではデヴィ夫人が彼と結婚したことで有名な人物かもしれません。

 

他にマンデラ氏の写真なありましたが、彼はここに来ていたのでしょうか。いずれにせよ、彼もアジアやアフリカなど有色人種に希望を与えた人物でもありましたね。

 

アジア・アフリカ諸国は各国で政変などが起こり安定していなかったので2回目の開催はなかったそうです。実際に提唱者のスカルノ大統領も政変でスハルトに大統領の座を奪われます。


日本人にとっては、第三世界と呼ばれたアジア・アフリカの仲間なのか、植民地支配をした側で列強と同じと考えるか意見が分かれそうですね。

 

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最後にサンキューのスペルが間違っている門を発見しました。以上、バンドンとバンドン会議についてでした。

 

RYOJI

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