世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

有限の時間の中で


Cry Baby
 TheGiantVermin

 

こんにちは。今日はバレンタインデーでもあり、2015年のブラジルのカーニバルが始まる日でもあります。

 

さて、唐突ですが「人生は有限」とよく言われます。自分は死なないという変わり者はいつの時代もいますが、今の技術では(男女の差はありますが)日本人の感覚で言うと大体80歳程が寿命です。自分の世代では平均100歳くらいまで生きる時代になっていくと希望は持っていますが、いずれにせよ有限には変わりはありませんし、何が起こるかもわかりません。

 

今の計算だと無事安泰に生きたとして寿命は30,000日くらいですが、この前自分が今まで生きた日数をカウントしてみたら今年に10,000日(27歳)を向かえることを知りました。(10000日は皆さんも祝いましょう!)こうして現実的に数値をカウントしていくと自然と「」を意識し、生の時間の短さにハッとさせられます。

  

そして、小学生の頃のやるせなさも思い出します。それは、小学生の頃に友人が200歳くらいまで生きる前提で親に話していた時、その友人の親が「そんなに生きられるわけないじゃない。80年くらいで死ぬよ」っと現実的な応えをしている所を聞いた時です。その時に、僕は「ああ、俺たちは死ぬんだ。この世は諸行無常なんだ・・」っと小学生ながら悟るのでした。

 

当時、時々それを考えては夜が怖くて眠れなくなったりもしました。歩道橋の階段を見ながら、この階段もいつかは錆びていくのだろう・・・など考えたり(笑)そういうのもあって、僕は時代の流れに敏感になり何年に何が起きたかというのを細かく記憶したくて、人より明確に覚えていた方だと思います。

 

それから思春期などを経て、僕は3年間隔で人生を考えるようになっていき、次の3年、終わったらまた次の3年を生きよう!という感じで生きてきました。物事、終わりから逆算することは良いことだと思っていたからです。この2月も、もう2015年になってから1か月経ったか・・ではなくて、2015年の12月から逆算してつい考えてしまいます。

 

しかし、それにしては意外と中途半端なことを多くしてきた気もします。それは恐らく、死を怖がって敢えて意識せず逃げてきたのも一つの原因でしょう。こうやって過ごしている時間はいつかは終わる。こうやって人とつながっている時間もいつか急に終わりを迎える。しかし、長く続くようにも思う。いや、そう思いたい。だから目を伏せて考えずグダグダ生きているという感じです。でも終わりを意識をすると自分の大切にしている価値観がわかったりするものです。

 

僕にとって旅行はその一つかもしれません。また人間であれば、どんな国の人にとっても旅行はしたいことの一つだと思います。そのため、「死ぬまでにここに行かなかったら後悔するだろうな」と思って訪れた場所は実際に多かったです。そして、いつも「この国を訪れるのは最初で最後なんだろうな」と思い今を楽しみながら旅をしています。そのため、何かの縁で再び同じ国に行くことができた時、何か人生のありがたみを感じて幸せにもなります。

 

イタリアのおばちゃんやフィリピンの先生などに、「その年でそれだけの国を行くのは早い」と言われたことがありましたが、もしかしたら生き急いでいると思われていたかもしれません(笑)しかし、その人がその人の価値観で生きているのなら、僕は生き急ぎぐことは良いことだと思います。

 

そのために大事なことは常識に惑わされないことであり、自分がしたいと思っていることが社会的価値観によってそう思わされている可能性があると疑いながら生きていくことだと強く思っています。例えば、リゾート地でゆっくりするという考え方にも旅中に惑わされましたが、一人旅を続けている場合、自分だけのために一週間もビーチでくつろぐことは中々できませんし暇です(現実的にはお金の問題もありますが笑)

 

やはり、自分にとってスパイスを与えてくれるものは「新しい物」そして自分がまだ見ていない新しい物と出会うことこそ価値を感じます。それを今まで物理的にわかる新しさ(例えば新しい国、土地、人などなど)に拘っていましたが、同じ環境の中でも見つけていく努力みたいなのが本当は必要なんだろうなと気づき始めました。面倒ではありますが。

 

また、時間は有限だからと言って全てを効率的に生きる程、僕は人生の選択肢を知らないことにも気づいています。それが常識に惑わされやすい点であり、年齢のハンデもある。経験不足なので。かと言って、人付き合いなどで効率ばかり考えることもしたくない。こういった色々なバランスが人生の難しい所です。ただ、義務感ではなく自分が何かにハマりつづられる物が常にあることは唯一の幸せに感じてきました。

 

そういった経験はあらゆるビビりを解消してくれる要素もあるからです。例えば、旅行などのおかげで僕は日本人が一人の状況でも、旅行レベルであれば億劫にはなりません。 しかし、それがそこの中学生だったらビビっているでしょう。そういったビビる要素が人生には多すぎるように思います。しかし、人間の最大の不安要素である死(終わり)を考えると、死以外の悩みほど不毛で人生を無駄にするものはないので、行動して経験を増やしながら軌道修正するのみと言い聞かせています。

 

最後に、僕は最近新しい曲を聴き続けないといけないなとも思っています。思わずヘビーローテーションで同じ曲を聞いてしまうこと多いので、まずそこは変えようと思います(笑)人生は有限ですから。

 


RYOJI

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