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世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

北京の盧溝橋(蘆溝橋)


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こんにちは。2013年の夏に単独で北京を旅行してきました。2013年は北京のPM2.5が日本で話題になり始めたくらいの年だったたので、空港で見かける日本人の多くがマスクをしていました。(汚染はかなり前から続いていましたが)

 

冬は石炭が多く使われるために空気が悪くなりやすいそうですが、夏の場合は毎日空気が悪い訳でなく僕は真っ青な空を見ることもできました。このPM2.5問題は「公式発表値が誤っている可能性がある」と北京のアメリカ大使館が独自計測して公開したことから、騒がれ始めたらしいです(地元の日本人談)

 

そんな北京ですが、北京中心部から少し外れにある盧溝橋に行くことにしました。

 

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生憎の雨天でした。(当時サラリーマンであったため)贅沢にもタクシーを使って盧溝橋のある街まで行きました。写真のように城下町のようになっていました。近々、地下鉄が北京中心部からここまで延伸する計画もあるそうです。

 

盧溝橋は月の名所としても昔から知られて、橋の近くには月に関する句のような物が書かれた石碑がありました。そして、今でも月を眺めに来る人も多いようです。

 

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(写真は盧溝橋の入り口です)

 

この橋は東方見聞録(世界の記述)を述べたヴィネツィア出身のマルコポーロが渡ったことでも有名で、彼は「この橋は世界でとても美しい橋」と褒めていたそうです。そのため、この橋は英語ではマルコポーロブリッジと言われています。

 

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マルコポーロもここを渡ったんだなと思いながら、この橋を渡るのでした。そして、いつかヴェネツィアに行かないとなとも思い、実際に行くのでした。

 

当時、元(モンゴル帝国)は大都(北京)に遷都していたため、マルコポーロは北京でフビライと会うことに成功します。

 

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マルコポーロが渡った約700年後、ここは日中戦争のきっかけにもなった盧溝橋事件(1937年)が起こった場所でもありました。色々な憶測があるようですが、学校教育等では軍事演習から戦いに派生したと言われています。そして、日本軍は1937年から北平という名であったこの街を北京と改称し支配を続けますが、泥沼の戦争となり1945年の終戦と共に日本軍は中国を撤退します。

 

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盧溝橋事件が起きた場所ということで、ここには抗日戦争記念館がありました。町の人に聞いてやっと見つけたのですが、僕が辿り着いた時にはすでに閉まっていて入れず。日本語ガイドもあるようだったので残念です。

 

この日中戦争は、現在の中国の内政状況と日本との外交状況のバランスによって捉え方がシビアになる歴史的テーマで、現在でも南京事件などを中心に歴史認識で両国間で摩擦が生じています。そのため、この記念館は中国側の日中戦争の捉え方を学べると思います。 皆さんが盧溝橋を訪れる時は、訪れてみてはいかがでしょうか。

 

RYOJI

 

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