世界の記述

タイトルはマルコポーロより。旅行を主とした日本と世界に関するブログです。たまに政治・経済もあり。

旧友と飲んで考えた「信用」とは


Trust
Neal Sanche

 

今日は日常で感じた雑感を書いていきます。

 

今、自分は今日本にいるということで、先日久々に大学の旧友と会いました。その友人とは所属していたサークルつながりであり、共通の先輩を待つ間にカフェでまず語っていました。僕は彼には失礼なことに、僕がこの4月から旅に出ていたことを改めて報告しておりませんでした。前回会ったサラリーマン時代から話していた通り計画を実行したまでだったからです。

 

そこで彼は「本当に行くとは思わなかった。本当に辞めて旅に出ちゃうから凄いよね・・」と言ってくれました。また、「(僕と)話しているとテーマがいつも面白いね。普通の人生だとこんな話題は出てこないからさ。」っと言ってくれるような友人です。

 

そこで、僕は「普通の人生って何?そんなのあるかな?」っとまた難しい返しをしてしまう(笑)そうして色々と人生について語るのでした。

 

僕たちは一般的に腐れ縁と言うのかもしれませんが、彼とは思考回路がかなり違うのに、なぜか話が合うという不思議な関係が築かれています。しかし、同じ経済学部出身というのもあってか、共通して経済の話ができるという所は大きいのかもしれません。また、僕も彼の考えを参考にしている所があります。

 

それは経済の話というよりも、そもそも論ですが「お金」についての考えをしっかりと持っている所です。僕は自分で仕事を作っていく上で、このお金の捉え方について本当に考えてこなかったことに気づくようになりました。

 

お金とは「信用」を数字に表したものでありお金自体には価値はない、これを肌で実感することが、少し今まででは難しかったという感じです。そこで、プライベートと仕事における信用についてフッと考えるのでした。今日の記事は少し漠然としていてすいません。

 

旅行は支出で考えると消費財でありリターンのないものと一般的には言いますが、お金を無視して無理やり旅行を投資として考えた場合に「自分はなぜ旅しているのか実際にはよくわからない・・僕の旅って何かリターンって何かあったかな?」っと彼に聞いてみました。

 

すると彼は「万一日本が破綻したり災害にあった場合、(僕の)信用力によって色々な国で助けてくれる人も多そうだからそれも財産の一つになったんじゃない?俺の場合は日本からの避難先はないよ…」という答えでした。

 

確かに・・っと思って少し考える自分がいました。信用とは何ぞやと。そして、今回色々とサポートしてくれた外国の友人の顔を思い出す。もちろん、避難や居候などができる程の信用力はないですが、確かに僕は色々な国に友人がいて、僕が旅行している時には彼らに沢山助けてもらいましたし、助けてくれたどころが案内までしてくれる友人もいました。他の人だったらホテルを予約して添乗員さんをつけてと大金を払わないといけない場合もあるかもしれません。

 

要するに、僕は彼らのおかげで旅行代理店を利用する必要がなかったとも言えるかもしれません。(彼らとはバーやホステルで話かけて友人になったりと、友人の紹介だったり、SNSでメッセージをくれた人に対応したりしてつながった仲ですが。)しかし、僕にそんな信用がある男だったからとも思ってはいません。

 

これらは彼らに寛容さがあったからこそだと思っています。こういった所が仕事では得られない友達の大切さだと感じますが、家族に関しても同じことが言えるかなと思います。自分は4年前に世界一周したのですが資金がなかったので、就職先が決まっていることを担保として、兄から資金を貸してもらっていました。これは家族ではなかったら恐らくできなかったでしょう。

 

そのため、友人や家族というのは、相手の寛容さに寄って築かれる信用が大きいと思います。友情をそんなに理詰めで考える必要はないですが。僕の場合、自分に社会的な力というのは正直現在ありません。しかし、こんな僕でも旅で出会った外国の友人達に信用を失わなわないように心がけていることはありました。

 

それは、他国の人の悪口を言う人には同意しないことと、日本人としての価値を求められたらそれに応えることです。

 

色々な国を旅していると国際関係が悪いがために、隣国の人の悪口を言う人と沢山出会ってきます。しかも、僕がそのどちらの国の人とも知り合いがいたりすることもあります。ギリシャとトルコ、前回の旅ではロシアとウクライナなどなど。国を越えた場合だと人種間などもたまにはあります。


もちろん、僕はどの国に対しても「政府」には不満はありますが、僕は世界を旅として捉えているので、その国の国民全体の悪口を言う程不満はないですし、それを言ったら彼らの信用を裏切ることになるなと思っています。後は日本について知りたい人には自信を持ってなるべく知っている限り応えると言った形です。

 

以上はプライベートな関係における信用についてですが、僕がこれから考えているビジネスシーンでの信用では、分かり易い指標として「お金」が取り交わされるので、「結果」を出すという困難さが加わると思っています。結果を出すには自分に自信があるのは当たり前に備えておくべきものです。そのため、社会的信用力をつけるために僕はそこから始めなければいけないなと考えるのでした。

 

しかし、そういう話をすると、この旧友の彼から「ある程度なら出資するよ!」と言ってくれたのがとても嬉しかった。でも、彼からの信用を深めるためにも、社会からの信用を得るためにも、まず前述通り、自分に自信をつける必要があります。それには自分が親や社会(肩書など)から完全に自立することが大事だなと思っています。家族や社会、会社の不満を言うことは誰でもできて言い訳できてしまうので。

 

今日のテーマの結論になりますが、信用を得るためには何事も自分に自信を持つ所から始めないとうまくいかないと思っています。そんな自信から得られた行動力と結果によって信用は膨らんでいくのではないかなと思います。そういった信用が、やがて気づかない所でお金にもつながっていたなんてことになるのでしょう。

 

以上、まとまりの悪い雑感になってしまいましたが、少し悶々としやすい同世代(20代中盤)の方には共感されましたでしょうか…?皆さんは社会的に対する自信は持っていますか・・?僕は時々自分を卑下してしまいますが、それは社会的には求められていないことなのです。

 

RYOJI

 

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